第2回日本語学校合同スピーチ大会 「好きやねん」ペリン(スイス):アークアカデミー池袋校
「好きやねん」ペリン(スイス):アークアカデミー池袋校
 
「好きやねん」ペリン(スイス):アークアカデミー池袋校


さん、皆さんは今日本語を勉強してるんやろね?
それは標準語の勉強やろ?日本にはいろいろな方言があるんよね。東北弁、関西弁、博多弁・・・ 今、うちは大阪弁を話しているんやけど、どう思う?標準語だけ話せれば、どこでも通じるから便利なんやろか?どう思う?

私は学校ではもちろん皆と同じ、標準語を勉強して使っています。でも、友達と話す時はいつも大阪弁です。私にとっては標準語より大阪弁のほうが、何と言うか、 話しやすい、感情が表現しやすいと感じるのです。

それは、私が初めて日本に留学したのが大阪で、そこで10ヶ月ホームステイをして日本の高校に通っていたことが大きく 影響しているのかもしれません。
初めて覚えた言葉は「わかれへん」という言葉で「わからない」という意味の大阪弁でした。私が「何?今の言葉、わかれへん」と言うと、それを聞いた人は皆 「ペリン、大阪弁しゃべっとるやん、すごいなあ」ととても喜んでくれました。そんなとき、私はその人たちと少しだけ仲間になれたような気がしたのです。 受け入れられた、つながっている、そんな感じがしてたまらなく嬉しかったことを覚えています。私にとって「大阪弁」という言葉の裏には、その10ヶ月の幸せな思い出があり、 今でも大阪弁を使うことで、こんなにとても温かい気持ちになれるという特別な魅力があるのです。


だ、逆に昨年7月に東京に来てからは、大阪弁のせいで、ひどく場違いな疎外感も味わいました。東京の友達には「なんで大阪弁使うの?」と言われるし、 大阪弁を話すとじろじろ見られたりしました。今は、東京の友達とは標準語で、大阪の友達とは大阪弁を使って話すようにしています。日本語は1つではないのですね。

今、勉強している標準語は、確かに日本全国どこでも通用する言葉として学ばなければならないものです。けれど、言葉って通じさえすれば果たしてよいのでしょうか。 私、ペリンというスイス人が日本語を使って話すとき、「外国人が日本語を使って話している」と見られがちだと思います。それはそれで親切にしてくれますから、有難いのですが、 私はそれ以上になりたかったのです。「外国人」ではなく「仲間」「友達」として受け入れてほしい、ここにいる皆さん誰もが思うことではないでしょうか。 言葉はそれを可能にする道具であり、方言はさらに強力な武器になりうると私は思っています。
「言葉なんて関係ない、人間性の問題だ」という考えもあるでしょう。 でも、外国人である私は、日本で2つのコミュニティーを体験しました。関西と関東、同じ日本なのに地域、場所が変わると言葉も変わり、コミュニケーションの形も変わる。 それぞれの言葉の裏側には、それぞれの文化がありました。言葉ひとつで地域とつながれることもある。 言葉の後ろにあるもの、言葉の奥深くにあるものを知りたい、感じたい、そのために、もっともっと日本語を勉強したいのです。
使えば使うだけ、知れば知るほど、ますます大阪弁が好きになってん。標準語も好きになったよ。だから日本語の勉強はやめられへん!だって、うちは日本語がホンマに好きやねん!

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