|
ただ、逆に昨年7月に東京に来てからは、大阪弁のせいで、ひどく場違いな疎外感も味わいました。東京の友達には「なんで大阪弁使うの?」と言われるし、
大阪弁を話すとじろじろ見られたりしました。今は、東京の友達とは標準語で、大阪の友達とは大阪弁を使って話すようにしています。日本語は1つではないのですね。
今、勉強している標準語は、確かに日本全国どこでも通用する言葉として学ばなければならないものです。けれど、言葉って通じさえすれば果たしてよいのでしょうか。
私、ペリンというスイス人が日本語を使って話すとき、「外国人が日本語を使って話している」と見られがちだと思います。それはそれで親切にしてくれますから、有難いのですが、
私はそれ以上になりたかったのです。「外国人」ではなく「仲間」「友達」として受け入れてほしい、ここにいる皆さん誰もが思うことではないでしょうか。
言葉はそれを可能にする道具であり、方言はさらに強力な武器になりうると私は思っています。
|
 |
「言葉なんて関係ない、人間性の問題だ」という考えもあるでしょう。
でも、外国人である私は、日本で2つのコミュニティーを体験しました。関西と関東、同じ日本なのに地域、場所が変わると言葉も変わり、コミュニケーションの形も変わる。
それぞれの言葉の裏側には、それぞれの文化がありました。言葉ひとつで地域とつながれることもある。
言葉の後ろにあるもの、言葉の奥深くにあるものを知りたい、感じたい、そのために、もっともっと日本語を勉強したいのです。

使えば使うだけ、知れば知るほど、ますます大阪弁が好きになってん。標準語も好きになったよ。だから日本語の勉強はやめられへん!だって、うちは日本語がホンマに好きやねん!
|